長い裁判闘争が結審、報告集会開催

4月25日の午後、星陵会館で結審集会をおこないました。主催者を代表して才田副本部長(埼玉土建)は「日本は諸外国に比べてアスベスト代替化に30年遅れた。危険性を知りながら放置してきた。提訴からのこの4年間にも多くの仲間が無念の死を迎えた。我々は提訴した仲間ばかりでなく、建設労働者500万人を代表してたたかっている。  本日、東京地裁で結審となり、運動もツメの段階に入っている。388人の原告が一人残らず勝利するようにがんばろう」と力を込めて訴えました。

来賓からはまず国会議員が挨拶。「かつてトンネル現場で働く技術者だった。当時、アスベストは『夢の建材』などといわれていた。国際的には1959年にアスベストの危険性は立件されていた。国の責任は明白。これまでも法改正などに努力し、労災認定を受けやすくするなど国会で尽力してきたが、今後もみなさんと連帯してたたかう」(自民党・佐田玄一郎議員)、「泉州で育った。地域で医者になっている友人からガンや中皮腫で亡くなる患者の話を聞き、早くからアスベスト問題を国会で取上げてきた。解決のために頑張る」(共産党・宮本岳志議員)など、10名の国会議員が口々に建設アスベスト闘争への連帯を表明しました。

参加した国会議員と秘書は下記の通りです。

■集会参加議員
橋下勉(民主)・谷博之(民主)・初鹿明博(民主)・吉川政重(民主)・佐田玄一郎(自民)・宮本岳志(共産)・田村智子(共産)・服部良一(社民)・吉田忠智(社民)・阿部知子(社民) 以上10人

■秘書参加議員
松崎公昭(民主)・櫛渕万理(民主)・石毛鍈子(民主)・田中和徳(自民)・井上信治(自民)・田島一成(民主)・加藤修一(公明)・穀田恵二(共産)
■メッセージ
本村賢太郎(民主)・牧山弘恵(民主)・中津川ひろさと(民主)・工藤仁美(民主)・塩川哲也(共産)・志位和夫(共産)・市田忠義(共産)

つづいて、全建総連、全国石綿連、東京に続いて立ち上がった北海道、京都、大阪、福岡の建設アスベスト訴訟原告団などから挨拶を受けました。

最後に清水事務局長(東京土建)から行動提起がありました。①街頭宣伝を強め、「構成判決要請署名」を大きく積み上げる、②早期解決を保証する200万署名への国会議員の賛同者を過半数に広げる、③被告企業要請行動を強める、④5.25横浜判決日行動を1000人規模の動員で大きく成功させるという内容です。

白田副本部長(神奈川土建)が読み上げる「『原告の命あるうちの解決を』横浜・東京の連続勝利判決で切り開こう」を集会参加者全員の拍手で確認、法廷で意見陳述をした遺族、飯島由美子さんの渾身の訴えを思い出しこみ上げてくるものを抑えきれずに閉会挨拶をおこなった巻田本部長の団結ガンバローで集会を終えました。

勝訴判決の旗出しを見るまで死ねない

たちの裁判も4月25日についに結審の日を迎えました。この日は全体で450人こえる仲間と原告が集まり、昼に地裁前、厚生労働省、国土交通省前にて集会を行いました。

午後の法廷では、原告二人と弁護団による最終意見陳述が約1時間にわたって行われました。最初に千葉原告で、遺族の飯島さんから、幼い子供二人を残し胸膜中皮腫で亡くなった夫の苦しみと辛い看病の日々、生活を支えるための苦労が涙をこらえながら語られ、法廷の中は、傍聴者のすすり泣く声で包まれました。

そして宮島原告団長が、全原告を代表して裁判官へ、「私は肺がんを手術した身で、もう82歳を過ぎました。いつ生命が果てるかもわかりません。しかし、私は、この間、妻に口癖のように言っていることがあります。『東京地裁の門前で、勝訴判決の旗出しを見るまでは死ねない』というのが私の本音です。今の正直な気持ちを言うなら、勝訴判決の旗出しを見たら、私はもういつ死んでも良いと思っています」「正義を貫く公正な判決を頂きたい」と陳述を締めくくり、決意を裁判所に示しました。

弁護団からは、石綿被害が建築業に集中している要因、国の責任、被告メーカーらの責任、悲惨で深刻な石綿被害について語られました。

そして、判決は弁護団と原告の強い要請もあり、判決の言い渡しは9月26日(水)午後3:00に指定されました。